水曜日、僕は煙を空に吐いた

 
残業のため夜食を買いにコンビニに行こうとして携帯を開き、訃報を知った。わたしは、かの偉大なるバンドとはそれほど縁がなく(ラストライヴは行ったけど)(ライジングさんでも見たけど)、彼について一番心に残っていることといえば、かの偉大なるバンドが止まってしばらく後に始まった、若い女性がボーカルをつとめる新しいバンドのライヴで彼のギターを数センチの距離で体感したことだ。わたしは彼の真下*1で、全身で彼の鳴らす音を浴びた。アンプが爆発するのではないかと思うほど、まさに"噴き出している"という表現がピッタリな、猛烈で、色鮮やかな音だった。すぐそばに掴めそうな距離に彼の脚があり、見上げれば、彼がニヤリと笑みを浮かべていた。降り注ぐ轟音に身をゆだねながら、ああなんてしあわせな時間なのだろうと思った。あれが最初で最後の、彼の"生の"音だった。ピックが弦をはじく音すら聴こえそうな近さだった。彼は、汗を掻き、呼吸をし、確かに"生きて"いた。幕張での豆粒みたいな遠くの残像でもなく、蝦夷で観た沢山の拳の向こうにやっとで垣間見える長身の黒髪のシルエットでもなく。手も、目も、声も、すぐ近くにあって、"感じる"ことができた。彼は、彼の鳴らす音は、あたたかかった。あれは確かに現実で、感触は今でも鮮明に蘇ってくる。
だが、彼はもう、いない。
信じられないし、信じたくない。
だけど。
仕事の帰りにコンビニで缶ビールを買った。帰宅してすぐ、あけて、「アベ、安らかに眠れ…!」と、夫と乾杯をした。
安らかに。安らかに。眠ってください。
かの偉大なるバンドを愛している人たちは周りにたくさんたくさん居て、わたしなんか、何を語ることも憚られるくらいで、だけど、わたし、好きだったよ。あのギターの音が、大好きだったんだ。
なんでアベが死んだのに仕事なんかしなくちゃいけないんだろう、ばかみたいだ、そう思ったりもしたけれど、それぞれに違う日常があるから、だから、明日もがんばろう。そう思った。わたしは、歩いて行こう。歩いて行こう。
ありがとう。
安らかに。安らかに。
たった数十分でも、あなたの音を全身で受け止める機会に恵まれて、わたしはしあわせだったと思います。ありがとう。ありがとう。
 
・・・早すぎるよ。
 
ありがとう。おやすみなさい。おやすみなさい。

*1:普通なら真正面という表現になるのだろうけれど