isawthelight2008-03-01

 
セットリスト
 
きこえるかい
無効の日
生活
神のカルマ
I・N・M
anything for today
イエロウ
月になって
負け犬
希望
センチメンタル
明日を落としても
もったいない
生きたいよ
途中の行方
ex.人間
正常
パープルムカデ
天才
ソドシラソ
Sonic Disorder
coup d'Etat
空をなくす
リアル
−−
さくら
ニセモノ
?(新曲)
イマジネーション
scene through
−−
she was beautiful
落堕
真空
−−−
翌日
Reborn
 
 
何から書いたら良いのかよくわからないから、この日のことをずらっと書こうかな…と。
他のひとの感想とか見て先入観もったりするのは嫌だからいつも見てる人様の日記とかも何もチェックしていない(セットだけは某所から拾って来た)ので、物事の順番とかが若干前後してるかもだけど…まあ自分用の覚書程度に。
 
 
いつもの土曜日より少しだけ早起きして11時頃に食事。じゃがいもとベーコンのオムレツ、キャベツとツナをごま油と七味で和えたもの、十五穀米。なぜかずっとBGMはすぱるた。Kさんに「すぱるたのライヴに行くみたい」とか言われる。行きたいよそりゃ…体がふたつあれば…。あー「森のメロディ」「ALOHA!」ひさびさに聴きたかった…。
Nちゃんが乗ってくると思われる飛行機の時間から、14時すぎに来るだろうと予想。身支度を整え、13時半前に家を出る。渋谷に着いて待っていると、程なくNちゃんが到着。再会の抱擁。去年のすぱるた以来。Nちゃんはちょっと汗だくで、急がせてしまったかな…とか思う。NちゃんにKさんを紹介する。なんだか、とても背筋がしゃんとするような、妙にはずかしいような…不思議なかんじ。ではまず…と一同、渋谷塔へ。前日夜に行ったときはエスカレーターを上がったところにぽつんと置かれていたはずのギターと写真とが、ごっそりエレベーター前に移動してしまっていた。ここでなんとなく…予感。ざくざくと店内を突き進みエレベーターホール側へ行ってみると、ロープと「こちらは通路です。観覧は順に階段の上にお並びください」みたいな内容の札。え…並ぶって…と思いつつ奥の階段を見上げたら、最後尾がどこにあるのかわからないくらいの長い行列が出来ていた。列の先頭の女性がギター横の写真とメッセージカードの前に立ち携帯電話で撮影していたのだが、ギターは横からふつうに全部見えていた。まあわたしは昨日も見たしその前にも何度か見てるんだけど…。Nちゃんに「どうする?」と訊いたら「(もう)いい」と言うので、退散。ギターはなんとか姿が見えたようだったし、メッセージは以前わたしが見に来た時に写真を撮らせてもらっていたので、まあいいよね…と。ていうかあのギターじゃないけど、ライヴで何度も他のギターは見たのだし…。再び駅まで戻り、渋谷から半蔵門線に乗る。会場最寄駅の近辺は混んでいるだろうと思ったので、隣の駅で下車。先週から目星をつけておいた喫茶店("カフェ"という感じではない…)へと一直線に。店内は空いていて、すぐさま席に着き、メニューを広げる。が、お目当てのものはなんと「本日品切れ」。他のメニューはちゃんとあるのに、それだけが無い…と。嗚呼。気を取り直し、コーヒーとケーキのセットをオーダー、3人でしばし歓談。店員さんがコバシリでお冷を足しに来るのが可笑しかった。

ここはコーヒー専門店なだけあって、コーヒーがとても飲みやすくて美味しかった。ケーキも程よい甘さで美味。おねだんは結構張るけれど、たまに来るなら良さそうな感じ。でも、この付近には、NAHTだとかfolioだとか(店名)もあるようなので、次にこの辺に来るとしたらまずはそっちが先になるかもしれない。その後、すぐ近所のもう一軒(これも予め目をつけておいた店)にも訊いてみたが、やはり目的のものはないとのこと。仕方なく会場近くまで徒歩で移動する。恐らくこのあと同じ場所へ行くであろう幾人かと擦れ違ったり並び歩いたりしながら、最終的に辿り着いたのは、某ファミレス。ここなら品切れということも無いだろう…と。席に着いてメニューをめくり、即決。オーダーはパンケーキとアイスコーヒー(理由はわかる人だけわかれば良い)。

わたしとNちゃんは既におなかいっぱいだったのだけど、これが真の目的だから…と、めいっぱいメープルのかかったパンケーキにナイフを入れて切り分け、ふたりでもりもりほおばった。なんだかばかみたいだけど、楽しかったな…。最後のほうはフリペの交換会(?)みたいな感じになりつつ、17時過ぎに店を出る。隣のコンビニで缶ビールを買い込み、いざ目的の地へ。大勢の人々とともに坂を上がる。Kさんは別のライヴへ行くので、入口前でバイバイ。ここからはNちゃんとふたり。グッズなんかとうの昔に売り切れていて、まあ元々それほど興味も無かったわたしたちは、座席を探しにさくさくと中へ入った。最初スタンドを勘違いして変なところに行ったりしたけど、なんとかちゃんと着席。上着を脱いで座るなり、缶ビールをあけて乾杯。野音のときもちょうどこんな位置で、ふたりでビールで乾杯したっけ…。場内SEはえんえんしろっぷだった。「自分らの曲をSEにするってどうよ…」とか言い合ったりはしたけど、その時点では特に何の感情も沸いてこなかった。
開演予定時刻を10分ほど過ぎ、暗転。前列の人たちは皆着席したままだったので、メンバーがステージに上がってくる様子、下のアリーナ席や向かいのバックスタンド席、2階席、すべてが遮られること無く一気に視界に入ってくる。しんと静まり返って、青いぼんやりとした光の中で鳴らされるギター、そして、歌。「きこえるかい」。足の下からじわじわと照らされるように歌が紡がれてゆき、ぱあっと明るくなってドラムの第一音が響く。その瞬間に涙が出た。解散だから…最期だから…ではなく、ただ、その瞬間の美しさに、涙がこぼれた。でも、その後は割とふつうにいつもの感じでこの"ワンマンライヴ"を楽しめた。へんに感慨とか感傷とかに浸ることも無く…というか、特に何かを思ったり考えたりすることも無くて、いつも通りめいっぱいリズムに乗り頭を振り体を動かしたり、じっと聴き入ったり、ドラムのカウントに合わせて拳をぐっと突き上げたり、いつも通りに、そうしていた。虚勢を張ってたとか、無理してテンションを上げていたとかではない。自然に、そういうふうになっていた。途中でふとアリーナを見下ろしたら、皆、お葬式のように押し黙って棒立ちで、なんだか妙な気がした。あっちからしてみたら、"最期の日"にノリノリでライヴみてるこっちのほうがよっぽどおかしかったのかもしれないけれど。でも、そんな妙な(?)空気も、いがらしさんのミス(と「負け犬だけに…」という一言)で多少はほぐれたようで…。束の間、ふんわりとした空気が漂う場内。しかし、ふっとステージ上の明かりが消え、なかはたさんときたださんが退場し、アコギを抱えたいがらしさんがひとりでステージに取り残されて、なんだかまたさっきの重苦しさが戻ってきてしまったように思った。いがらしさんの弾き語りで鳴らされる「センチメンタル」「明日を落としても」。静かに厳かに、時に激しく、それはとても穏やかで、残酷で、やさしくて、そして、美しかった。バンドで…ではなく、いがらしさんひとりの手で奏でられたその歌は、なんだか彼自身の"最期"の覚悟のようにも思えた。バンドを終わらせ、それぞれが独りになる…そして明日からも歩いてゆく。そういう覚悟と決意のような、そんな歌だと思った。決して揺らぐことのない、確固たる決意。やっぱり、最期だからとかそういうのでこのライヴを楽しめないのは嘘だと思った。終わらないで…悲しい…やめないで…居なくならないで…って、それはそうだけど、でも、今このライヴをそういう気持ちだけで見るのはちょっと違うんじゃないか?って。これが最期、これで終わり、もう、大好きだったあの曲もこの曲も二度と生では聴けない。いがらしさんの裏返った歌声も、不安定なギターも、不意に発せられる咆哮も。ふたりのアイコンタクト、なかはたさんが立ち上がって叩くイントロ、雄叫び、頭をわしわし振ってめいっぱい腕を広げ振り上げてダンッと下ろすあの瞬間も。静かに爪弾かれるギター、それを切り裂くようにして突っ込んでくるドラムの音、、、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、鳴らされたその瞬間に次々と"過去"になってゆく。もう二度と聴けない、見られない、巻き戻せない。だから、記憶に、この目に、耳に、焼き付けるんだ。DVDでは見られない聴こえないものを、音を、空気を、ぜんぶ。ただ棒立ちでめそめそして、ろくに顔も上げられないなんて、もったいないよ。もうこの瞬間は二度と無いのだから、全身全霊で楽しみたいし、味わい尽くしたい、わたしは。後悔なんかしたくない。だから、じめじめと泣いてるヒマなんて、無いんだ。本編最後のリアルの冒頭で一度外に出たけれど、ロビーに居ても彼らの音はしっかりと聴こえていた。会場全体が、鳴っているみたいだった。しろっぷの音は、この場所で、まだ鳴ってる、生きてるって思った。しかしアンコール1回目(ていうか恒例の第二部?)で新曲をやるとは思ってなかった…まさかなあ。そういえばラファータはやらなかった。いがらしさんが「あー終わっちゃいますね…。明日はこねえのかよ…クソッ」て吐き捨てるように言い放ったときは、ちょっとだけドキッとした。なんだかんだいってもやっぱり、多少は揺らいでしまうものなんだろうか…。そういう不意打ちは反則だろう…。わたしは最初に少し涙は出たけれどきっともう泣かないだろうって思っていたんだけど、いがらしさんが「やーもうほんとにね、長いこと、ありがとうございました!」とか言って、いきなり思いついたように「メンバー紹介しよう!」と言い始めて、で、なかはたさんが立ち上がって…。それを見てたら、ああもうこのふたりが一緒に鳴らすことは無いのか…って、急に一気に感情が溢れ出してきてしまって、思わず両手で顔をおおってしまった。いやだめだ…ちゃんと見なきゃ…って思うのに、涙が止まらなくて止まらなくて、ほんとうに困った。やっぱり、なかはたさんのドラムは心臓みたいなもので、いがらしさんは肉体と血とを持っているけれど、なかはたさんの拍動が無ければ血は巡らないし(歌が)生きていないんだと思う。なかはたさんが刻む音のひとつひとつが、いがらしさん(の歌)を生かしてる。歌とギターとに、ドラムが、命を与えている。だから、このふたりは、別々じゃだめなんだ。いがらしさんには、なかはたさんじゃなきゃだめなんだ。なかはたさんのドラムじゃないと、生き(られ)ないんだ。そんなふたりなのに、もう一緒に新しい歌を紡ぐことは、無い。心臓が拍動をやめ、血は再び巡ることなく、肉体はここで死ぬ。そう思ったら、どうしても溢れ出してくるものを抑えることが出来なかった。4度目にステージに現れたいがらしさんが「プレーヤー(=再生機)から…ね、あの…さっき上がってくる時…明日はもうねえよなんて思ったけど、まあ俺は明日生きてるかわかんないけど…、明日があるような…明日を歌った曲もいっぱい作ってきたんで、気が向いたら…聴いてみてください。じゃあそんな曲、明日の曲を…」と言って「翌日」を鳴らし始めたとき、ああ、やっぱり最後はあの曲なんだって思った。わたしがいちばん大好きな、でも家とか電車の中とかでは絶対に聴けない、好きだけど好きすぎて聴けない、あの曲。シメもそこそこに「次もそんな…明日を歌った曲です。ありがとうございました」と、心の準備をする猶予すら与えられないまま、間髪入れずに終焉を告げるイントロが鳴らされた。「Reborn」。わたしは今までこの曲を聴いて泣かなかったことは無かった。だから今日も、めいっぱい、泣いた。それがわたしにとってのこの曲の受け止め方だから。最期だから泣いたんじゃない、"いつも通り"にしただけ。でも、曲の後半、照明が一斉にすべて点いてぶわっと場内が明るくなったとき、わたしはなんだかとても清清しい気持ちがして、気付くとなぜか笑っていた。いっつもずっと泣きながら聴いていたこの曲で、わたしは、笑っていた。真っ白になった会場、明るすぎるステージの上で最期の音を叫び鳴らしている3人を見て、なんだか、すうっとこころが晴れ渡っていくような心持ちがしていた。悲しいとか寂しいとか嫌だとか…そんな後ろ向きな感情、どこにも無かった。でも、ありがとうっていうのもちょっと違う。なんだろう、とにかくこの音が、歌が、だいすきだって、ただそれだけを思っていたような気がする。赤くて黒くて白くて、ひたすらに美しい、そんな彼らの音に出逢えて良かったなあ…って、そう思っていたと思う。3人が手を繋いで何度もお辞儀をし、そして去って行った。これで本当に終わり。アンコールを更に求めるような人は居なかった。まるで突き刺していくような"最期"だったと思った。痛みすら感じさせないほどに、ひと息に貫いてゆくような。
わたしはずっといがらしさんに"生きて"てほしかった。でも、今は、"死なない"でいてくれればそれで良いと思ってる。バンドという肉体は死んでも、曲は永遠に生きる。歌は、死なない。なかはたさんの拍動も、いがらしさんの血のような歌の巡りも、しろっぷという肉体においては、止まった。肉体は死ぬ。だけど、魂は生き続ける、そう思う。プレイヤーから、その魂を聴けばいい。それぞれ気が向いたときに。
明日は、きっと、来る。
Nちゃんと茫然自失でしばらく立ち尽くし、やっと我に返って客席を後にする。開演17時半、終演21時前。全34曲、3時間半。よくよく考えるとかなり壮絶な"最期"だったんだなあ…。
人混みは途絶えることなく渋谷まで続いていた。つーか九段下のホームでBさんに遭遇したのには笑った。なんでよりによってBさん…しろっぷなのに。しかもホーム間違えたからこっちに来たとか言ってたし…なんたる偶然。フリペとか無理矢理押し付けて分かれた。あー笑った。
Nちゃんの帰りの飛行機の時間を考えると、九段下から半蔵門線に乗る時点でリミットまでもうわずかしか無かった。一旦駅近くの居酒屋に出向いてはみたものの準備に少々時間がかかると言われたので、コバシリで駅へ引き返し、そのまま少し立ち話。ああでもわたし途中まで定期持ってる…と気付くのがちょっと遅くなっちゃったんだけど…。一緒に電車で乗換駅まで行って、売店で"あのときのビブレホールとおんなじ"缶ビールを買い、乾杯。今度はそっちに行くよと約束して、改札の前で手を振る。絶対絶対、行くからね。
 
帰宅して、ひとりで「Reborn」を聴いてみた。涙はもう出なかった。
 
さようなら。
 
だけど、また会えることを祈って
 
ありがとう。